情報の豪雨

スゴい勢いで降る雨を “rain cats and dogs” というらしいが、目一杯蛇口を捻ったシャワーのよう恐ろしい量の情報が降り注いでいる。
八月の夕立ならすぐに止むだろうし、都会のゲリラ豪雨のなら電車で2ー3駅も移動すれば逃れることができるだろうが、そうはいかない。
友人とよく “wikiの旅” なんてふざけるけれど、調べ物で WikiPedia に行くと、芋づる式の知識欲に身体が乗っ取られる。

検索の為の記憶

「あとで必要になるかもしれない」「有益な情報満載のサイトだから」そういって『お気に入りにブックマーク』というのを覚えたのは90年代初頭。
Evernote や はてな を使って蓄積したり整理したり。
強迫観念的だね。
「忘れちゃ大変!」とか思うのね。ググって1発でみつけたページなのに。
そのうち「なくなっちゃ大変!」とページのキャッシュコピーをストアし出した。
必要になったときに検索できるように。
便利な手段を乗り換え乗り換えしながら。
今度は「どこに何を記憶させたか」を記憶させないと。

そもそも本物の脳みそって

でもね。
忘れるじゃない?
本物の脳みそは。

そうコンピュータだのITだのって人間の脳みそに見立てた機械なんだからさ。
本物は忘れる。
いや、待ってくれ。コンピュータは、忘れないから素晴らしい?
コンピュータって何するもの?
記憶?思考?発想?作業?仕事?
これらの中で、人間がするエリアのもので代表的なのは…発想、そして思考。

ねえ、ものを考えるのにどれだけの材料が必要?

システムの本当の役割

僕らは、コンピュータに日頃僕らがしている仕事をさせるためにコーディングする。
上手にサルに仕事をさせられるように仕込む。
でも、それってそれ自体には価値はないよね?
それのお陰で浮いた時間で人間が脳みそを使って何かを生み出さないと。
できあがったシステムがあるから、ふだんと違う景色で情報を見ることができて、ドラスティックなアイデアが湧いた…とかまでいってはじめて意味がある。

何が言いたいのかというと…
本末転倒じゃないのかな?ってこと。
思考や発想の為の脳みその空き領域を、記憶し続けるという作業のために逼迫されてしまうことってさ。
やっぱ本末転倒な感じがする。

フローの変更

「これって大事かも」「あとできっと必要になる気がする」
そんなとき、たまには、サヨナラしてみよう。
名前もメアドやケータイも聞かないで。
もう意図的に「サヨナラする」というプロセスを明示的に入れていかないと、僕ら、もう末期なのかもしれない。

そう。思ったんだ。
知りたがりも大概にしろ!って。

やってみたら分かったこと(結論)

だから少し前からそうしてみている。
メモらなきゃ!って思ったとき…その多くの場合、いったんサヨナラを呟いて⌘W。

そしてほんの短い間でわかったこと。
・いったん忘れても良い情報が存在する(縁があればまた出会える)
・むしろ忘れるべき情報が存在する(検討段階では必要な情報は、フェーズが変わって 実行段階になると不要どころか邪魔になる)
・情報を記憶蓄積しているつもりで忘れてたってこと。(Evernoteには溜まっていくけど脳には出会った記憶すら残らない)
・覚えるためには、それ相応の手間と時間が必要だってこと。(手間なくメモると間違いなく忘れる)
・歳をとると「覚えるための手間や時間」の効率がやたら悪くなるってこと。
・逆に歳をとって良かったのは、たいがいの情報「は脳内で予見できるもの」と大差がないってこと。
・その情報がなければこんな発想や思考出来なかった!なんて情報は記憶しようとしなくても覚えているということ(すこぶる効率が良い)
・そしてその情報によって脳内で起きた化学反応こそが大切であり、その情報それ自体には何の価値もないこと。
・メモるなら、自分の脳内の化学反応の方

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