モラルパニック

いまさらなんですけど、イラクの人質事件(3人の方)の話。
つか、事件に対するマスコミやいわゆる世論の風潮について。
なんだか、やだね。
スミルノフ教授もおっしゃっておられるように、
ただ無事であったことを素直に喜ぶ素人市民でいてはいけないのかい?!」
ちゅー話である。全く持って、同意なのだ。
スミルノフ教授は、要点だけの感覚的な文章で、多くを語らずの方だけれど、私は、語りすぎの典型である。
どうしても、説明過多になってしまう。
んなこた分かってらい!という方だけが読みに来るということに決めつけて書いてもいいですかぁあ〜?!*1
ぃい〜〜〜んですっ!

  • 注1カビラジエイ調に読むこと


聞く度に気分の悪いキーワードは、3つ。
“オウンリスク”・“自己責任”・“自業自得”
だんだん気分が悪くなるような順番で並べてみた。
モラルパニック*2と言う言葉があるらしい。
まさしくこれに該当するように感じる。
私の中の警鐘がガンガンなっているだけであって、本当かどうかは保証しないが。
そんなに、世間様は、彼らを呆れたり、怒ったりしていないように思うのだ。
少なくとも、私は、「無事でよかったね!(^-^)」という良い感情こそあれ、悪しき思いは何一つない。
一個の人間が、知らんぷりすれば済むような他人の窮状に対して、
自らの内なる力に突き動かされるように、
自らがするべきと感じる行動を、
自らの財力と、体力とで、全うしようとする。
この時点で、私などは、そういう人を尊敬し、同じ国の人間として誇りに思う。「ありがとう」という言葉が口をついて出る
そういう人たちが、監禁されました。となったら、
「迷惑かけてごめんね」
と言わなければならないのは、国である。
憤るだけで行動を起こせなかった我々日本国民の方が、むしろ、発するべき言葉である。
個人の善意が結果として、トラブルに巻き込まれたのなら、
何を置いても、最大限の尽力を惜しまないのは、
その個人が属する国家として当然である。
換言するなら、
もともとの問題は、国家のもめ事というレベルの話なのだから、
国家がその国民に対して、
国家レベルでしかできないhelpをすることは当たり前だ。
そんなの十分予見しうる話である。
予見できないと言うなら、それは、
場当たり的で恣意的な施策しかできない国家であるという宣言をしているのと同じである。
とはいうものの、国には国の、個人には個人の都合と言い分があるのだろうから、とりあえずは、
「よかったね、無事で」
という話でいいではないか。
全部約分されて、残る言葉が「無事でよかった」なのだ。

  • 注2ある事件やできごとが行政、マスメディア、識者らによって社会的価値や公共の利益への脅威として描き出され、場合によっては対応策が講じられるにいたるプロセスをモラルパニックといい、パニックは十分な根拠があるのではなく、支配的な権力がイデオロギーとして捏造するものとみなし、メディアにおける人種や若者の表象を批判している -Stanley Cohen, Folk Devils and Moral Panics, Oxford up, 1987-

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